南区9条の会で、「大空襲と学童疎開」というテーマで、中区の伊波新之助さんをお招きし、当時学童疎開を経験されたことを中心にお話を伺いました。伊波新之助さんは日本記者クラブ会員で元朝日新聞記者です。また弟さんは横浜市会議員で元議長もされた伊波洋之助さんです。
伊波さんが小学校3年生の時に、学童疎開で箱根の旅館で暮らしていたことなどを手作りの紙芝居を見ながらお聞きしました。
「学童疎開では、3食食べられたが、それでもお腹は減っていた。6年生が中学受験のために箱根の疎開から横浜に帰る時に、畑仕事などを手伝ったお礼にと農家の方たちが紅白のお祝い餅をお土産もたせてくれた。そのお餅は手のひらぐらいの大きさだったが、それを薄く切って家族て1週間たべたというほど、食べ物はなかった。配給で配られるサツマイモは、今と違って食用ではなく焼酎などを作るための芋で、美味しくなかった。
とにかく戦況が悪くなると、食べ物が手に入らなくなるので、餓死する人もいた。横浜大空襲では、アメリカは人口密度の濃い地域を集中して攻撃した。その標的になったのが、中区の沿岸部と伊勢佐木町や黄金町だった」逃げ遅れて焼け死んだ方たちの写真なども見せていただき「どんなことがあっても、2度と戦争はしてはいけない」と痛切に感じました。
伊波さんは、この紙芝居を持って、市内の小学校へお話しに行っているそうです。戦争を体験している方が激減している今だからこそ、こういう活動をしていただく方は貴重な存在です!